レイキの歴史History
レイキというヒーリングは、大正時代に日本で誕生したものです。
手を当てて、手から出るエネルギーで人やモノを癒すという行為そのものは、実は人類が生まれたときから誰でも知っていた、やっていたのです。
でも文明が発達して行くにつれ、そのような力を人間は眠らせ、封印してきてしまったのです。
レイキの誕生
「レイキ」というヒーリング・システムを作り上げたのは臼井甕男(うすい みかお)先生です。

1865年、江戸から明治へと時代が変わろうとする頃、今の岐阜県に生まれた臼井先生は、若い頃から世の中のさまざまなこと、人間について、人生について探求してこられたといいます。
けれども容易に「悟り」を開くことは出来ず、1922年(大正11年)、56歳の時に最後の望みを、京都の鞍馬山へ登り、21日間の断食修行することに託されたのです。
この修行が終わろうとした21日目の明け方、臼井先生は強烈なエネルギーを感じ取られ、これによって独自の「霊氣療法」の能力を得られたのでした。
こうして得た能力を臼井先生は独り占めせずに広く普及させようと、同年東京の青山に「心身改善臼井霊氣療法学会」を設立し、レイキによる施療のほか、霊氣療法の伝授も行うようになりました。先生の名声は高く、多くの人が施療を受けに集まったといいます。
学びは受けつがれ、ついに海外へ
ほどなくして1926年(大正15年)、臼井先生は療法を伝えるために訪れていた広島県福山で病気のために亡くなられます。
臼井先生から霊氣療法の神秘伝までを伝授された数少ない門下生の一人に林忠次郎(はやし ちゅうじろう)先生がいます。
海軍大佐で軍医でもあった林先生は、東京信濃町にレイキによる治療院を開かれました。伝授された霊氣療法に独自の手法を加えた治療院は、たいへん盛況だったといいます。
林先生の治療を受けた人の中にハワイ・カウアイ島出身の日系二世のハワヨ・タカタ先生(1900〜1980)がいます。重い病気を治すために来日したタカタ先生は、病院でいざ手術をするというまさにその時「手術はいらない」という心の声を聞きます。そして導かれるように林先生の治療院を紹介され、ここで約8ヶ月施術を受けて、あれほど重かった病気が完治したのです。
霊氣療法の素晴らしさに感激したタカタ先生は林先生のもとに弟子入りし、レイキを学び、やがてハワイでレイキによるクリニックを開くことになります。
タカタ先生はレイキによる施療だけをされ、レイキ伝授を行ったのはその晩年の1977年(昭和52年)のことでした。
そして1980年(昭和55年)、タカタ先生は22人のレイキティーチャーを生み出して亡くなったのでした。
世界に知られるヒーリングに
タカタ先生が亡くなったあと、孫娘であるフィリス・リー・フルモト先生が,レイキ・アライアンスという協会を設立して、タカタ先生の後継者としての役割を引き継ぎました。
タカタ先生のレイキ・ティーチャーの資格を受けた殆どの門下生はこの協会に所属したのですが、バーバラ・レイ先生だけは考え方の違いから、ラディアンス・クリニークを設立され、以後、アメリカではレイキの系譜は大きくこの2つの協会の流れが中心となっていきます。
タカタ先生の亡くなる前後から、レイキは急速にアメリカ、そして世界各国へと広まっていきました。
現在では世界で数百万人以上ものプラクティショナーがいると言われています。
特にレイキのさかんな国々では、健康保険でレイキ治療が受けられたり、病院内でレイキ治療が併用して受けられたりと、代替医療としてのレイキの認識はどんどん高まっていっています。
日本へ里帰りしたレイキ
日本では、戦後、霊氣療法は廃れてしまったと言われていました。1980年代になり、おりからのニューエイジブームにのって、欧米から逆輸入される形で知られるようになってきました。
1987年(昭和62年)に、バーバラ・レイ先生の「レイキ療法」(現在絶版)が翻訳出版されて、レイキがブームとなります。この本の翻訳を担当された三井三恵子先生が、国内でレイキ・セミナーを開催されましたが、セカンド・ディグリーまでしか行わなかったのでレイキ・ティーチャーはなかなか誕生しませんでした。
1993年(平成5年)、ドイツ人のフランク・ペッター先生が日本へ移住され、ティーチャーズ・ディグリーまで教えられるようになって、ようやく国内でもティーチャーが増えていったのでした。
レイキのことを現代の日本では「霊氣」と書かずに「レイキ」と表示しているのは、このような経緯があるからなのです。
ちなみに海外から伝わったレイキを「西洋式レイキ」「西洋レイキ」と呼び、臼井先生からの流れをひき、海外へでることがなかたものを「伝統式レイキ」「日本式レイキ」などと呼んで区別することもあります。
また、臼井先生を創始者とし、共通のシンボルとマントラを使うレイキを「臼井レイキ」「臼井式レイキ」と呼び、オリジナルのシンボルとマントラを増やしたり、他の手法と組み合わせたりしたものを「発展系レイキ」と呼ぶこともあります。


